2019年8月8日木曜日

明智光秀近江出身伝説を追う

8月1日 コラボしが21で、令和元年度 滋賀の文化財講座 花湖さんの打出のコヅチ 第4回「明智光秀近江出身伝説を追う」~琵琶湖文化館所蔵「淡海温故録」から広がる世界~と題して滋賀県文化財保護課美術工芸・民俗係兼琵琶湖文化館 井上優氏の講演がありました。

来年のNHK大河ドラマは、初めて明智光秀が主人公となる「麒麟がくる」に決定されましたが、徳永真一郎「滋賀県人」に近江で生まれたという記憶から地誌を博捜し、琵琶湖文化館館蔵品の典籍から「近江国犬上郡左目」出身説を確認し、明智光秀は近江出身ではないかと研究。


〇通説として、高柳光寿の著作「明智光秀」では光秀の出自はどうもはっきりしない。「明智軍記」は悪書なので採用しない。また系図類は証拠にならないので採用しないとのことでした。
〇淡海温故録とは?
貞享年間(1684~1688)成立の地誌であり、中世の土豪や社寺を詳述している。井伊家に献上された。光秀出身説として、その犬上郡左目の項目に記載がある。「左目(現在の多賀町佐目)に明智十左衛門が居住。美濃が本国だが土岐成頼に背き、近江の六角高頼を頼る。その息子明智十兵衛光秀は器量勝れたる者」と記述。 
〇多賀町伝説とは、佐目の上出集落では明智光秀出身伝説が今も語られ、光秀家臣の子孫であると先祖から伝承されている住民も居るところ。

〇伝説が語るものとして、伝説の真実性は史料が不十分で決定的ではないが、否定する根拠も存在しない。そもそも明智光秀の出身にかかる一級史料は無い。その中で根拠資料の成立年代は大事であり、美濃生まれと言われるが土岐支族ゆえにそうとも限らない。

史実としては語れないかもしれないが、伝説として、地域にとって大切な歴史。その地域のこだわりを大事にしていきたい。

決して荒唐無稽とは言えない迫力があるとのことでした。

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