2011年12月17日土曜日

自然の中の人間

   これは、本日付の中日新聞文化欄の「暮れゆく災害の年」に寄稿されている多川俊映氏のコラムのタイトルです。大変示唆に富んだ内容となっており、なるほどとうなづくばかりです。
   特に、「自然と人間との共生(きょうせい)」という言葉の曖昧さについての指摘は、意味深いものがあります。
  その内容を紹介しますと、以下のとおりです。

「時として牙をむき出し強烈に襲いかかる自然に、人間はそれが収まるまで身を縮めて、待つしかない。そういう微細な者同士が共に生きる、それが共生(ともいき)の思想だ。それを近頃「キョウセイ」と読み、「自然との共生」なぞというのは、誤用もはなはだしいという他ない。考えてみれば、これほどの傲慢、これほどの勘違いもあるまい。私たちはどこまでも、人間の都合などいささかも斟酌しない自然の中に暮らしている、イヤ、暮らさせてもらっているのだ。何事も、そこを基点に考え、組み立てていくべきではないだろうか。」

0 件のコメント:

コメントを投稿