近江風土記の丘を構成する史跡を紹介するシリーズの最後は、国の特別史跡安土城跡です。
復元・整備された大手道です。
滋賀県が20年の歳月をかけて行った発掘調査の成果を受けて、幅8~9m、大手門からの延長180mという築城当時の堂々たる姿が蘇っています。
大手道の途中では、付近から徴発されたのであろう石仏が何体か顔を見せています。
伝本丸跡を支える石垣。
巨大な石材が使われています。
安土城天主の跡です。
柱を支えた大きな礎石が碁盤目状に並んでいます。
ここに立っても、天主の大きさ・高さや華麗さは、なかなか想像しにくいものがありますが、地上6階、約30mの高さの壮麗な建物であったと言われます。現代の建物で言えば8階建てぐらいに相当するものですから、当時としては飛び抜けて巨大な建築物であったことになります。
ご存知のように、城の代名詞である天守閣を初めて備えたのが安土城で、近世城郭の源流とも言われる所以です。
また、他の城の「天守閣」と違い、「天主」という呼び方も安土城のみであり、これも安土城がいかに特別な存在かということを示す証拠の一つです。
天主跡から琵琶湖を望む。
琵琶湖の対岸の山並みや、遠く伊吹山も見えます。
安土城築城当時は、安土山は内湖の湖面に突き出た形でしたので、もっと近くまで湖面が迫っていたと思われますが、信長が眺めた風景を想像することは出来ます。
安土城考古博物館では、第2常設展示室で安土城と信長を中心テーマとして、様々な展示を行っています。
安土山全体を俯瞰するジオラマです。
第2常設展示室の入口で皆様をお迎えする位置にそびえ立っています。
これでわかるように、当時は湖面に突き出した半島状の山の上に安土城は築かれました。
大手道の道沿いに、伝羽柴秀吉邸など家臣の屋敷が築かれた様子を示しています。
安土城天主の復元模型です。
その姿を明確に示す設計図や絵画が残っていないため、往時の姿については、いくつもの説が提示されています。
織田信長に関する資料を集めた「信長研究室」です。
このほか、信長の顔を描いた何種類もの画像や、安土城跡から出土した金箔瓦(復元品)、織田軍団が使った長槍(復元品)などなど、安土城と信長に関する展示が所狭しと並んでいます。
是非、お立ち寄りください。
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