2015年11月8日日曜日
近江風土記の丘 今昔③
近江風土記の丘を構成する史跡の今昔を紹介するシリーズの第3弾は、「史跡観音寺城跡」です。当博物館の裏にそびえる繖山(きぬがさやま)は観音寺山とも呼ばれますが、鎌倉時代から近江に勢力を張った佐々木六角氏がこの地に城郭を築いたのが観音寺城の始まりとされます。繖山全体を城砦としたと言われるほど大規模なもので、中世山城の代表格とも呼ばれ、「日本百名城」にも選ばれていますが、現在は整備の手が十分には及ばず、本丸後とされる所にも案内板がポツンと立っているのみです。
左の写真は、伝本丸跡の裏虎口を守る互い違いの石垣で、往時の城の守備の堅固さを窺わせます。
最近、地元安土の住民の皆さんが観音寺城跡の整備に取り組んでおられます。「豊かな杜づくり隊」の皆さんを中心に、住民や地元企業の方々が草刈りや樹木の伐採に汗を流してこられました。近くを走る新幹線の車窓から石垣が見えるようにしようと、この11月29日(日)に大規模な作業を計画しておられます。皆さんも参加してみては如何ですか?
繖山には、西国第三十二番札所として有名な観音正寺もあります。聖徳太子が開創したと伝わる古刹で、信長が佐々木六角氏を滅ぼした際に荒廃の憂き目にあったとも言われますが、その後、人々の信仰の力で幾たびも復興しています。平成5年に本堂が焼失した際も、全国からの浄財で本尊と本堂を蘇らせておられます。
当博物館では、観音寺城の在りし日の姿を示すジオラマなどを展示していますので、現地を訪れるのに合わせて、是非ご覧ください。
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