お城ファン・信長ファンの方からよくある質問の一つに、安土城炎上の原因についての質問があります。
この点について、当館編集・発行の「常設展示解説」の記述を紹介しますと、
「安土城は、天正10年(1582年)6月14日から15日早朝にかけて炎上しました。炎上の原因については、「明智秀満放火説」「織田信雄放火説」「城下よりの類焼説」などがあります。「太閤記」などでは第一の説が、宣教師の記録では第二の説が、公家の日記である「兼見卿記」では第三の説が述べられています。いずれも決め手に欠けるものであり、炎上の原因についてははっきりしていません。
また、発掘調査の結果、天主、本丸を除く部分では焼け跡が発見されておらず、炎上の範囲についても今後に課題を残しています。」
信長の天下の象徴であった安土城の天主閣は、信長同様、炎と共に地上から姿を消します。完成してからわずか3年のことでした。
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